細胞の話
我々の身体を構成している細胞は、6年を目安に一新されるという。それはつまり、細胞も生まれては死に生まれては死にを繰り返すということだ。
これは人間社会にも当てはまるんじゃないだろうか。
人間という一個の細胞が沢山集まって、群生として生きては死にを繰り返して、歴史を形成していく。
ここで、歴史を「別の生物」と仮定したらどうだろうか。
私たちは、もっともっと大きな存在を構成するための細胞の一つ一つに過ぎず、社会や国家が内臓の役割を持っていたり、戦争やテロが病気ということになったりする。
戦争が病気だとしたら、ガンくらいのレベルになるんだろうか。ガンは正常な細胞が変異して悪性のものになるという病気だけど、互いにいがみ合って殺し合う辺り、結構似ている気がする。
もしかしたら、私たちを細胞とする上位存在も、その上の何かの細胞に過ぎず、その上の存在も…………というように、無限に続いているのかもしれない。
もしかしたら、私たちの身体の細胞も、「たりーなー」とか言いながら、自分たちがもっと大きな存在を構成する一部だとは一生気づかないまま、死んでいくのかもしれない。
そして、その細胞を構成するもっと小さなものが、さらにその…………と続いていく。
そうなると、果たして大きさに意味はあるんだろうか、という気分になってくる。どこまでいっても、そこでは生物が細胞のことなど考えもしないまま生活しているかもしれない。
というか、そうだったとしたら面白い。
ここでは生物ということで仮定したけれど、これは単純に世界とか宇宙という言葉と言い換えることもできる。
実は自分たちの住んでる宇宙はまた別の宇宙の中の一つで……、といった感じ。
子供の頃に、メン・イン・ブラックという映画を観たことがある。
実は現代社会には一般人にバレないように宇宙人たちが生活していて、何がトラブルなどがあった際に、宇宙人専門の政府組織MIBが出動する、みたいな話。
この映画のエンディングで、街から国、果ては宇宙までずーっとズームアウトしていくシーンがありました。太陽系や宇宙を越えた先には別の世界があって、私たちの宇宙はガラス玉のようなものに入ったおもちゃのようだったのを覚えてます。そこで横から現れた宇宙人たちが他にも沢山転がっている銀河ボールを転がしたりぶつけて遊び、最後には袋の中にしまう……という終わり方でしたが、これがまた物凄く印象に残っています。子供心に、世界の可能性について考えさせられました。
もっとも、自分が何かを構成しているいち細胞に過ぎないとしても、何を構成しているかまではわからないんでしょうね。
それを想像するから楽しいんですけど。